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2011年3月11日2:46PM大震災発生
東北地方三陸沖75kmの地点を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。この地震により宮城県栗原市で震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県で震度6強など広い範囲で強い揺れを観測しました。 更に、その20~30分後に太平洋沿岸を中心に高い津波を観測し、特に東北地方から関東地方の太平洋沿岸では大きな被害が発生し、その後も火災、原発事故などにより広範囲で甚大な被害となりました。
2011年12月2日現在、死者は15,840人、重軽傷者は5,951人、警察に届出があった行方不明者は3,546人、そして125,000戸の建物、250,000人以上と破損、破壊されました。そしてこの被災地周辺には多数の発電所があり、その中でも福島第1原子力発電所では深刻な被害が発生しました。
そして、懸命の復旧作業にも関わらず、原子炉1号機の水素爆発など度重なる原子炉爆発事故が発生し、遂に3月15日には、原子炉4号機の爆発と火災が発生。人員約750人は東京電力の指示によって避難しました。しかし、約50人は現地にとどまり、福島第一原子力発電所の被害を食い止めることに尽力し、これを外国メディアが彼らを地名と人数を合わせた〈福島50〉の呼称で呼び始めました。
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この時計は、3月11日14時46分(GMT+9:00)に起きた東北地方太平洋沖地震の日からの経過時間を示しています。
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PSPINC支援活動
2011年3月11日に発生した東日本大震災後、広大な地域にもたらした想像を絶する被害により、まだ多くの被災者の方が不自由な生活を余儀無くされています。
2011年11月23日、PSPINC社長中村真弓は、特に深刻な津波の被害を受けた鹿折地区気仙沼市と南三陸町を訪れました。駅構内を出て道1本を越え、港の近くに足を踏み入れた時、その傷跡の深さに中村の背中は凍ります。海岸から少し隔て建物の激突したと思われる漁船、道の両側に積み上げられた瓦礫の山...。気仙沼市に隣接するの南三陸町は人口8,000人の町でしたが、約半数の方が地震による津波の被害で亡くなり、8割の方が家屋を、7人に6人の方が仕事を失い、未だ政府からの援助を待っていらっしゃいます。PSPINCはこの大災害を忘れることなく、中村が現地で出会った大勢の被災者の方々から伺ったお話をここに掲載し、少しでも多くの皆様にお伝えすることで、少しでも支援の輪が広がっていくことを願っております。
PSPINCスタッフ一同、瓦礫の下から逞しく花を咲かせているタンポポと気仙沼市の小学校の男児生徒が書いた「また、ここから」という言葉を胸に焼きつけ、この支援活動を続けて参ります。
NPO 法人PSPチルドレン・ファウンデーション
Hope is something we receive by giving it to others.
PSPINCが活動費用をサポートしている当法人は、2011年に発生した東北大震災のような大災害に被災した心の傷の癒えない子供たちが、少しでも希望の光をみつけ、将来に夢をもてるような機会を提供することを目的として設立されました。







